神社仏閣

【神社仏閣VOL.2】北条氏照ゆかりのお寺「宗関寺」と氏照のお墓

宗関寺(そうかんじ)は「東京都八王子市元八王子町3丁目2562」にあります。

このお寺は八王子城の入り口にありますので、お城に向かうか行った後に訪れるといいと思います。それではお寺に向かいましょう。

宗関寺の石垣

八王子城に向かう坂道にあるためか、立派な石垣で擁壁を作っていますね。

宗関寺のつつじ

ツツジが綺麗に咲いていますね🌺

宗関寺のつつじ

白いツツジも咲いていますね🌺お寺の植物は手入れが行き届いていて、心が和みます☺️

宗関寺の門

こちらが宗関寺の入り口です。立派な構えですね。それでは入りましょう。

宗関寺の本堂

入るとすぐに本堂です。お寺の屋根の上には北条家の家紋である「三つ鱗」が2つ見えますね😳

宗関寺の鐘

右手に鐘があります。かなり立派ですね。案内板があるので見てみましょう。

宗関寺の看板

市指定有形文化財

宗関寺銅造梵鐘

所在地 八王子市元八王子町三丁目二五六二番地

指定年月日 昭和三十九年七月二十三日

北条氏照の百回忌に際し、氏照の家臣中山家範の孫、中山信治等が八王子城の戦死者の追善供養のために鋳造寄進したものです。

鋳工は椎名伊予良寛と椎名兵庫重長で銘文は水戸光圀に寵遇された明の僧、心越禅師によるものであり、歴史的資料としても貴重なものです。

平成三十一年三月三十一日

八王子市教育委員会

北条氏照の100回忌に建立された鐘のようですね。このエピソードだけでも北条氏照がどれだけ慕われていたのかがよくわかります。

宗関寺の鐘

こちらがその鐘です。かなり年代物なの感じはしますね。そしてよく使われている感じです。

宗関寺の三つ鱗

屋根には「卍」と北条家の家紋である「三つ鱗」が刻まれています。

宗関寺の庭

庭もコンパクトですが手入れが行き届いていますね。

宗関寺の看板

お知らせ

宗関寺より西側一帯(城山)は、国史跡となっておりますので左記事項に御留意ください。

一、名称 国指定史跡 八王子城跡

一、所在 元八王子町三丁目、下恩方町 外

一、指定 昭和二十六年六月九日

一、指定理由 都内で数少ない、良好に遺構が見られる戦国時代の山城である等

史跡指定地内は、無断で現状変更することは禁止されています。現状変更をする場合は、文化庁の許可を受けてから実施してください。詳細については、八王子市教育委員会文化財課へお問合せください。

令和四年三月三十一日

八王子市教育委員会

さて、ここから北条氏照のお墓に向かいましょう。ここから先は国指定史跡になるそうです。

北条氏照の墓の案内板

宗関寺から八王子城へ向かう道の途中で脇道に逸れていきます。

北条氏照の墓に向かう橋

途中橋を越えていきます。

北条氏照と家臣のお墓の案内

あとはこの階段を登れば到着のようです🧗

北条氏照のお墓に向かう階段

それにしても結構長い階段ですね。登りますけど。。。。

階段

結構長い階段ですね😅

北条氏照のお墓

階段を登りきりました。奥にお墓が並んでいますね。近くまで行きましょう。

北条氏照と家臣のお墓

北条氏照と家臣のお墓です。一際大きく三つ鱗の家紋のあるお墓が氏照でしょうか?

北条氏照のお墓

今でもお参りされる人が多いようですね。

北条氏照及び家臣のお墓の説明

東京都指定旧跡

ほうじょううじてるおよびかしんはか

北条氏照及び家臣墓

所在地:八王子市元八王子町三

標識:昭和三年三月

指定:昭和三十〇年三月二十八日

北条氏照は、早雲の孫、氏康の子で、関東管領上杉家の老臣大石定久に代わって永禄二年(一五五九)頃、滝山城主となったとされています。氏照は、ほかに榎本・古河・栗橋など数城を併有したとされ、後北条氏の勢力拡大に大きく寄与した人物でした。武蔵国と甲斐国の境に大規模な山城である八王子城を築いたことでも有名です。天正十八年(一五九〇)の小田原攻めでは、豊臣秀吉の武将前田利家・上杉景勝らの軍勢に対する家臣中山勘解由らの防戦もむなしく八王子城は落城しました。兄氏政を助けて小田原城にいた氏照も、開城後、兄とともに秀吉から切腹を命じられました。

現在ある氏照の供養塔は、勘解由の孫水戸藩家老中山信治が氏照の死後一〇〇回忌の追善供養のために建てたものです。両脇には、家臣であった勘解由と信治自身の墓もあります。

平成二四年三月 建設 東京都教育委員会

文化財を大切にしましょう

Historic Places (English Text)

Hōjō Ujiteru oyobi Kashin Haka

(The graves of Hōjō Ujiteru and his retainers)

Landmarked in 1928, Designated in 1955

Hōjō Ujiteru, a grandson of Sōun and a son of Ujiyasu, is said to have become the lord of Takiyama Castle around 1559 in place of Ōishi Sadahisa who was a senior retainer of Uesugi family. He contributed to expanding the territory of Go-Hōjō clan, possessing several other castles, such as Enomoto Castle, Koga Castle and Kurihashi Castle. Ujiteru is also famous for building Hachiōji Castle on the border of Musashi Province and Kai Province. Hachiōji Castle fell to the army of Maeda Toshiie and Uesugi Kagekatsu in 1590, despite the defensive battle by his retainers, such as Nakayama Kageyu. Ujiteru had stayed at Odawara Castle at the time helping his elder brother Ujimasa, but was commanded to commit Seppuku by Toyotomi Hideyoshi with his brother after surrendering the castle.

The memorial tower of Ujiteru was built by Nakayama Nobuharu, a grandson of Nakayama Kageyu, for a memorial service for 100th anniversary of his death. There are the graves of Nakayama Kageyu and his grandson on both sides of his grave.

Tokyo Metropolitan Board of Education

お墓というよりかは供養塔なのですね🤔先ほどの鐘と同じで100回忌でやっと弔うことができたようですね😢

宗関寺の寄進のお願い

北条氏照のお墓も先ほどの宗関寺が管理されているようです。修繕志納の案内がありました。

今回は戦国武将「北条氏照」ゆかりのお寺とお墓を訪問しました。こういった組み合わせで訪れると、街一味違った感覚で歴史を感じられるのはいいですね☺️

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<執筆者プロフィール>
予備自補軍曹
経営学修士(MBA)
予備自衛官(技能)
民間人から予備自衛官補(技能)、そして予備自衛官になりました。休日はお城や神社仏閣、戦争遺跡を見歩いているので、面白そうなものを紹介していきます。
姉妹ブログとして優待太郎の名前で「MBAホルダーが保有している株主優待銘柄」も運営しています。

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  • この記事を書いた人

予備自補軍曹

予備自衛官(技能) 経営学修士(MBA) 民間人から予備自衛官補(技能)→予備自衛官になりました。 休日はお城や戦争遺構を訪れて現地を散策しています。その時の写真を多めに執筆しています。

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