神社仏閣

【神社仏閣VOL.15】将門塚(東京都指定旧跡)

将門塚は「東京都千代田区大手町1丁目2−1」にあります。

将門塚は色々と有名な話があるところですね。それでは行ってみましょう。

将門塚

将門塚は東京の一等地にありますが、面積もすごいですね。大きなオフィスビルが1棟建ちますね😳それではお参りしましょう。

将門塚にある古蹟保存碑

大蔵大臣による古蹟保存碑があります。なぜ大蔵省が古蹟保存碑を作ったのか。Geminiに聞いてみました。

石碑に刻まれている文字

  • 中央:故蹟保存碑(こせきほぞんひ)
  • 左側:大蔵大臣 河田烈 書(おおくらだいじん かわたいさお しょ)

この石碑の背景・由来

この地には、平安時代の武将・平将門の首を祀る「将門塚」があります。この石碑が建てられたのには、大蔵省(現在の大蔵省・財務省跡地周辺)にまつわる歴史的な経緯があります。

  • 大蔵省の仮庁舎建設と祟り(たたり)の噂大正12年(1923年)の関東大震災で大蔵省の庁舎が全焼した際、この将門塚を壊して仮庁舎を建設しました。しかしその後、当時の大蔵大臣をはじめ、関係者が相次いで病死や怪我に見舞われたため、「将門の祟りではないか」と恐れられ、仮庁舎は取り壊されることになりました。
  • 没後1000年の慰霊と石碑の建立それから時が経ち、昭和15年(1940年)は平将門の没後1000年にあたる節目の年でした。さらに、この年に大蔵省の庁舎へ落雷があり、周辺が全焼する火災が起きたことも重なり、大蔵省を中心に本格的な慰霊祭が行われることになりました。
  • 河田烈による揮毫その際、平将門の霊を慰め、この歴史的な遺跡を永く保存するために建立されたのが、この「故蹟保存碑」です。文字は、当時の大蔵大臣であった河田烈(かわた いさお)によって書かれました。

現在は周囲のビル開発に伴って将門塚も綺麗にリニューアルされていますが、この石碑は当時の大蔵省と将門塚の深い結びつきを伝える歴史的遺物として、今も大切に遺されています。

将門塚と大蔵省とはこんな関係があったのですね🤔

将門塚の説明

将門塚の説明文がありますね。書き起こしましょう。

東京都指定旧跡 将門塚(しょうもんづか)

神田明神のご祭神である東国の英雄・平将門公の御首(みしるし)をお祀りしております。平将門公は、承平天慶年間(九三一~九四六)に活躍され、武士の先駆けとして関東地方の政治改革に尽力され、弱きを助け強きを挫くその性格から民衆より篤い信仰を受けていました。

今を去ること一〇七五年ほどの昔、桓武天皇五代の皇胤(こういん)鎮守府将軍(しょうぐん)・平良将の子将門公は、下総国に兵を起こし、たちまちにして坂東八ヶ国を平定、自ら平新皇(たいらのしんのう)と称して政治 of 革新を図りましたが、平貞盛と藤原秀郷の奇襲をうけ、馬上陣頭に戦って憤死(ふんし)しました。享年三十八歳、世にこれを天慶の乱といいます。

その後、将門公の首級(しゅきゅう)は京都に送られ獄門に架けられましたが、三日後白い光を放ち、東方に飛び去り、武蔵国豊島郡芝崎に落ちました。大地は鳴動し太陽も光を失って暗夜のようになったとされ、村人は恐怖し、塚を築いて埋葬しました。これが、この将門塚と語り伝えられています。その後も度々、将門公の怨霊が祟(たたり)をなすため徳治二年、時宗二祖真教上人は、将門公に蓮阿弥陀仏という法号を追贈し、塚前に板石塔婆を建て、日輪寺にて供養し、さらに傍の神田明神にその霊を合わせ祀ったところ、ようやく将門公の霊魂も鎮まり、この地の守護神になったといわれています。

天慶の乱は平安朝の中期に当たり、京都では藤原氏が政権をほしいままにし、我が世の春を謳歌していました。遠い坂東では国々の司が私欲に走り善政を忘れ、下僚は収奪に民の膏血(こうけつ)をしぼり、加えて洪水や旱魃(かんばつ)が相続き、人民は食なく衣なく、その窮状は言語に絶するものでした。その為、これらの力弱い多くの人々が、将門公によせた期待と同情とは極めて大きなものがあり、今もって関東地方には数多くの伝説と将門公を祀る神社があります。このことは将門公が歴史上朝敵と呼ばれながらも、実は郷土の勇士であったことの証です。また天慶の乱は、武士が台頭する烽火(ほうか)であったと共に、弱きを助け強きを挫く江戸っ子の気風へと繋がり、今日の社会にも大きな影響を与えています。

江戸時代の寛文年間、この地は酒井雅楽頭の上屋敷の中庭であり、歌舞伎「先代萩」で知られる伊達騒動で伊達安芸と原田甲斐の殺害された場所でした。明治時代、大蔵省再建事業の際に崩されるなどしましたが、その後、昭和になり史蹟将門塚保存会が結成され、昭和三十六年(一九六一)の第一次整備工事を皮切りに、幾多の変遷を経て、令和三年(二〇二一)に第六次整備工事として、現況のように整備されました。

将門塚は神田明神・創建の地でもあります。毎年九月彼岸の日には「将門塚例祭」が執り行われ、五月の神田祭の時には必ず鳳輦(ほうれん)神輿(みこし)が渡御(とぎょ)して神事が行われる重要な場所です。将門塚保存会神輿も同保存会の方々により担がれており、現在も同保存会により大切に維持され、神事が行われています。

史蹟 将門塚保存会

江戸総鎮守 神田明神

何回も整備されているんですね🤔それでは参拝しましょう。

将門塚

周囲は白い石が引き詰められています。なので歩けるところは必然と決まるので、数人ずつの参拝となります。

将門塚

生花が生けられていますね。立派な塚です。

将門塚の伝説は全国でも有名な話ではあるのですが、実際近くで生活していても参拝したのは今回が初めてでした。実際に参拝すると今までの伝説が本当だったんだなと感じます。

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<執筆者プロフィール>
予備自補軍曹
経営学修士(MBA)
予備自衛官(技能)
民間人から予備自衛官補(技能)、そして予備自衛官になりました。休日はお城や神社仏閣、戦争遺跡を見歩いているので、面白そうなものを紹介していきます。
姉妹ブログとして優待太郎の名前で「MBAホルダーが保有している株主優待銘柄」も運営しています。

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  • この記事を書いた人

予備自補軍曹

予備自衛官(技能) 経営学修士(MBA) 民間人から予備自衛官補(技能)→予備自衛官になりました。 休日はお城や戦争遺構を訪れて現地を散策しています。その時の写真を多めに執筆しています。

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