深大寺城址は「東京都調布市深大寺元町2丁目14−4」にあります。
近くに「深大寺」や「神代植物公園」や「水生植物園」があります。
史跡の概要
深大寺城跡は、16世紀前半に南関東を舞台に繰り広げられた上杉氏と小田原北条氏(以下、北条氏と記す)との攻防の中、扇谷上杉氏が再興した戦国時代前期の城館跡です。平成19年(2007年)7月に一部が国史跡に指定されました。
この城跡は、関東平野南部に広がる武蔵野台地の南端部、標高約50メートルの舌状台地(武蔵野段丘の一部)の突端部につくられた平山城です。
また、発掘調査の成果により、深大寺城は主郭(本丸)を中心として、空堀と土塁に囲まれた3つの郭(曲輪)を直線上に配置した連郭(れんかく)式縄張の中世城郭であることが明らかになっています。
深大寺城跡は、奇しくも初期の目的を達成する前に廃城になったこともあり、北条氏による改変を受けずに扇谷上杉氏系の築城技術を残す希少な城館跡です。
(調布市ホームページより抜粋)
それでは向かいましょう。

深大寺城址にはこちらの水生植物園から入っていくことにします。それでは向かいましょう。

右手が深大寺城址、左手が水生植物園となります。

この水生植物園は本当に水が豊富で、いつもぬかるんでいると思います。おそらくこれが城の守りにも影響していたと思います。
近くに「不動の滝」と言われる湧水があり、東京の名湧水57選にも選ばれる水源があります。その水がここまで流れてきているのが要因のようですね。

それでは深大寺城址に入っていきます🚶♀️

途中に碑がありました。ここで間違いないですね。

土塁と空堀が出てきました。

土橋・空堀
この土橋は、空堀を渡り第一郭と第二郭を結ぶ通路に使われていた土手を復元したものです。
当時の空堀はもっと深く斜面は急傾斜であり、土橋は今より幅の狭いものでした(下図)が、埋設保存のためにこのような形で復元しています。
図面内の表記
平面図(左側)
- 第一郭
- 土橋
- 第二郭
- ■ 現在地
- 土塁
- 空堀
- (断面位置を示す記号:A - A'、B - B')
土橋断面図 A-A'(右右上)
- 覆土
- 土橋
- 上辺幅:1.5M
- 高さ:2.5M
空堀断面図 B-B'(右右下)
- 覆土
- 空堀
- 上辺幅:6.2M
- 底辺幅:2.1M
- 深さ:3.2M
説明文を読むと復元したもののようですね。それでも間近でこの規模の土塁と空堀と見るとテンションが上がります😂

第一郭跡
この第一郭は江戸時代の城の「本丸」に当たる郭で、その構造が良く残っており、周りに見える土塁(土を盛った所)と右に見える空堀は、外敵の侵入を防ぐ施設でした。
深大寺城は半島状台地の先端に位置しており、当時は南(左方向)が一望できる場所でした。
この土塁を越えると本丸のようですね。それでは中を見てみましょう。
中はそれなりの広さがありますね。それにしても調布の街中にあるのにここは環境がいいです。

杭がたくさんあるのが気になりますね。手前に説明書があるので読んでみましょう。

建物跡
この石柱の集まりは、発見された掘立柱建物のうち2棟の柱穴の位置を示しています。
建物は武士の屋舎であろうと考えられています。
一般に戦国時代の城の建物は丸柱・板葺屋根で、床は中心的な居所の部分のみにあったといわれています。
*朱塗は石で表現する建物跡

ボール遊びやお弁当を広げている人も多いので、水飲み場など地域の憩いの場としてのインフラも整えていますね。横の土塁も気になりますが😂

少し離れてはいますが、トイレも用意されています。

深大寺城址内にはそば畑もあります。

ここの蕎麦畑は「神代植物公園」「深大寺そば組合」「深大寺小学校」で運営されているようです。
御城印

深大寺城の御城印は不定期販売となっています。こちらのものは令和7年7月7日のタイミングで販売されたものです。欲しい方はネットで調べておくといいと思います。
深大寺城は当時、かなり重要な城であり要塞でもありました。そのため小田原北条氏はここを攻めない形で南関東の攻略を進めました。戦の経験はないお城でもその存在が抑止力となった意味は大きいです。実際に現地を訪れるとその大きさに驚きます。

<執筆者プロフィール>
予備自補軍曹
経営学修士(MBA)
予備自衛官(技能)
民間人から予備自衛官補(技能)、そして予備自衛官になりました。休日はお城や神社仏閣、戦争遺跡を見歩いているので、面白そうなものを紹介していきます。
姉妹ブログとして優待太郎の名前で「MBAホルダーが保有している株主優待銘柄」も運営しています。
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