松代城は「長野県長野市松代町松代44」にあります。

今回はバスで移動してきたので、松代駅で降りました。松代駅といっても既に廃駅となっていますが当時の趣が残っています。少し見ていきましょう。

建物やホームの屋根は当時のままの木製ですね。今もこの施設が残っているのは凄いです。

駅構内は当時の趣が残っていていいですね☺️これはお城を見にいく前からテンションが上がります。

松代駅正面はバスの待合所も兼ねているせいか手を加えていますね。まぁかなり経年劣化を起こしているので仕方ないですね😥
それではお城に向かいましょう。

案内文は写真だと読みにくいので書き出してみます。事前知識があるとより深く知ることができますからね☺️
史跡松代城跡 附新御殿跡
Remains of the Matsushiro Castle and Shin-Goten
松代城は、甲斐の武田信玄が越後の上杉謙信との「川中島の合戦」に際し、武田方の前線基地として築いた海津城(かいづじょう)がその始まりといわれており、慶長(けいちょう)5(1600)年頃現在の形に整備・完成したものと伝えられています。慶長16(1611)年頃松代城と改称、城主となった真田信之の頃、二の丸・三の丸を拡張し、上級武士の居宅を配置したものと考えられています。元和8(1622)年に真田信之が上田より移封されて以降、明治の廃城までの約250年間、松代藩真田家10万石の居城となりました。
松代城は、北東面を流れる千曲川(ちくまがわ)を自然の要害として造られた平城で、幾重にも水濠、千曲川の旧流を配して、二の丸・三の丸・花の丸などの曲輪(くるわ)を構えていました。
明治5(1872)年の廃城以降、建物は無くなったものの、昭和56(1981)年に本丸を中心とした城郭跡が新御殿とともに国史跡に指定されています。
Matsushiro Castle was originally Kaizu Castle, built around the time of the Battle of Kawanakajima between Shingen Takeda and Kenshin Uesugi as Takeda's frontline base. It is thought that the current form was completed after the Battle of Sekigahara, which took place in 1600. Matsushiro Castle was home to the Sanada family for about 250 years from 1622 when Nobuyuki Sanada moved in until it was destroyed in the Meiji Period.
松代城在川中島合戰時作為武田信玄與上杉謙信對峙的「海津城」為起點,現今看到的松代城規模據說是慶長5年(1600)左右完工。元和8年(1622)真田信之從上田移封至此,直到明治廢城為止的約250年間,松代城一直是松代藩真田氏10萬石的居城。
長野市教育委員会
松代城略年表
年代 事柄 詳細 永禄3年 (1560) 海津城造営 武田信玄、山本勘助らに命じ築城 永禄4年 (1561) 川中島の合戦 上杉・武田の両軍激突 天正10年 (1582) 武田氏滅亡、織田領に 森長可が入城 慶長5年 (1600) 田丸直昌が入城 関ヶ原の戦い 慶長8年 (1603) 松平忠輝が入城 城郭の大改修が行われる 慶長16 (1611) 「松代城」と改称 元和8年 (1622) 真田信之が入城 上田より移封、真田藩の始まり 延享4年 (1747) 居館(花の丸)焼失 火災により焼失 万延元年 (1860) 新御殿の造営 真田幸教が母のために造営 明治5年 (1872) 廃城 建物等の払い下げ、解体 昭和56 (1981) 国史跡指定 本丸跡および新御殿跡が指定
個人的に一番驚いたのは海津城と松代城が同じだったということでしょうか。私は現地でこの案内文を読むまで知りませんでした😅

堀もしっかりと残っていますね。石垣も立派ですね。

それでは橋を渡りましょう。

こちらが太鼓門になります。

門をくぐるとクランクしていますね。塀は白くて綺麗ですね。

場内はかなり広い公園ですね😳

お城の中には大きな海津城の碑がありました。やはり最初に作った時の白の名前を残すのは大事ですね☺️

松代城址の石垣と御殿の説明がありますね。書き出してみましょう。
石垣
ISHIGAKI
松代城は、本丸の周囲や出入口などの重要な部分に石垣を用いました。大小さまざまな自然石を巧みに積み上げた、たいへん特徴的なものです。とくに本丸北西の戌亥隅櫓(いぬいすみやぐら)の石垣は松代城内でも古い近世初頭のものと言われており、その高さと勾配の美しさは、当時の石工の技術の高さを物語っています。
石垣の修理工事では、可能な限りその特徴を活かし、明治以降の改変や消失したもの、構造的に不安定になっている箇所について、当時と同じ工法で積み直しました。
Only the major areas of the castle(Hon-maru) were enclosed by stone walls. Places that were restored recently and parts that were lost were rebuilt using the old construction methods.
城中只有城的主要部分(内城)由石砌国墙环绕。对其中近代重新修复的部分及消失的部分按照当時の施工方法进行了复原。
本丸御殿跡
HONMARU-GOTEN-ATO
本丸内には、江戸時代中頃まで政庁(せいちょう)や藩主の住居(はんしゅ)のための御殿がありました。調査では、建物礎石(たてものそせき)や井戸跡、焼けた土壁など、享保2(1717)年の火災で焼失した御殿の痕跡が多数見つかっています。
しかし度重なる水害の影響により、明和7(1770)年に城の南西に位置した花の丸に御殿を移しました。
There was a palace inside Hon-maru until the middle of the Edo Period, but due to repeated floods it was moved to Hananomaru located in the southwestern part of the castle. Earthenware and ceramics have been found in the ruins.
到江戸中期为止,内城建有供藩主居住的府邸-御殿。1770年因数次遭受水灾,将御殿移到了内城的西南部(花城)。在内城遗址中发现了土器及陶瓷器等。
確かに石垣は綺麗なんですよね。あと川が近いだけに水害も凄かったんですね😥城の防衛にはいいのでしょうが、平時だとむしろ厄介ごとになっていたのですね😥

松代城址には一部石垣からの展望台があります。城の周りにある土塁も思った以上に長いですね😳あと周りに高い建物がないため川中島の方までよく見えます。舞台の補給など考えるとここが一番良い拠点だったのでしょうね🤔

本丸側の門は立派に作られていました。
松代城址は特に天守閣があるわけではないですが、戦国時代の海津城から始まり江戸時代は松代城と名前を変えて残りました。また武田信玄や真田信之と有名な武将の名前が出てくる凄いお城です。長野駅からは少し遠いですが、川中島の古戦場などを見物しながらここまで足を伸ばすのもいいかもしれませんね☺️
長野県にある観光地
長野県でお勧めのホテル
長野県にあるお勧めのお店
長野県といえば馬肉や信州サーモンが有名です。予約しないと入られないお店もあるのでぜひ行ってみてください。

<執筆者プロフィール>
予備自補軍曹
経営学修士(MBA)
予備自衛官(技能)
民間人から予備自衛官補(技能)、予備自衛官になりました。休日はお城や神社仏閣、戦争遺跡を見歩いているので、面白そうなものを紹介していきます。
姉妹ブログとして優待太郎の名前で「MBAホルダーが保有している株主優待銘柄」も運営しています。
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