飛山城址は「栃木県宇都宮市竹下町380−1」にあります。
それでは向かいましょう🚶♀️

飛山城址席公園に向かうには宇都宮ライトラインで飛山城跡停留所でおり、ここから歩いていきます🚏ただ結構な上り坂なので車で行ける方はそちらをお勧めします。

お城に近づくと幟が出てきました。そろそろですね。

到着しました。駐車場はこの中にあります。無料で止められます。

木製の橋を渡ると飛山城址になります。空堀と土塁で囲まれているのは素敵ですね☺️

左側の解説文、右側の関連事項年表、および右下の利用上の注意について整理しています。ふりがな(ルビ)が付いている箇所は括弧 ( ) で表記しています。
飛山城史跡公園
Tobiyama Castle Historical Park
- 所在地:宇都宮市竹下町
- 国指定年月日:昭和52年3月8日
- 時代と種別:中世の城跡 / 古代の烽家(とぶひ)
- 管理団体:宇都宮市教育委員会
解説文(左下)
飛山(とびやま)城跡は、鎌倉時代の後半に、芳賀高俊(はがたかとし)により築(きず)かれたと伝えられています。芳賀氏は(清原(きよはら)氏)は、益子(ましこ)氏(紀(き)氏)とともに「紀清両党(きせいりょとう)」と呼ばれ、宇都宮氏を支えた武士団です。
城の規模は、約14haと広大で、東と南側を二重の堀で、西と北側を鬼怒(きぬ)川によって守られています。
城内は、中央の4号堀により大きく北と南に分かれます。
北側はさらに3本の堀により厳重に守られ、2号堀に囲まれた部分が、主郭(しゅかく)(本丸部分)と考えられます。
南側は小規模な溝により、東と西に分けられ、その東側は、倉庫や兵士の詰所があった場所と考えられます。
なお、城内に1棟だけ整備した茅葺(かやぶ)きの建物は、古代の緊急連絡施設である「烽家(とぶひ)」に関連した建物です。
施設平面図(中央下)
- 施設平面図
- ■ 現在地
飛山城関連事項(右上)
| 時代 | 西暦 | 飛山城関連事項 |
| 鎌倉時代 | 1293~1298 | 芳賀高俊が飛山城を築く。 |
| 1333 | 鎌倉幕府が滅亡する。 | |
| 南北朝時代 | 1336 | 足利尊氏が征夷大将軍となる。 |
| 1339 | 宇都宮・飛山城の北朝軍が南朝の北畠顕家に破れる。 | |
| 1341 | 春日顕国(南朝軍)により飛山城落城。 | |
| 室町時代 | 1363 | 宇都宮氏綱・芳賀高名父子が武蔵苦林野(にがばやしの)合戦で、足利基氏方の軍勢に大敗する。このとき芳賀高家(飛山城主)が討死。 |
| 1467 | 応仁の乱(~77) | |
| 戦国時代 | 1485 | 山城国一揆(~93) |
| 1512 | 宇都宮成綱が芳賀高勝を殺害する。(宇都宮錯乱) | |
| 1549 | 宇都宮尚綱、五月女坂(さおとめざか)の合戦で戦死。 | |
| 1555 | 川中島の合戦。 | |
| 1557 | 芳賀高定が宇都宮広綱を擁し、壬生(みぶ)氏より宇都宮城を奪還。この時、佐竹義昭の軍が飛山城に在陣しこれを支援する。 | |
| 1560 | 桶狭間の合戦。 | |
| 安土桃山時代 | 1576 | 織田信長が安土城を築く。 |
| 1590 | 豊臣秀吉が宇都宮氏と家臣たちに、「いらない城は破却(はきゃく)せよ」との命令を出す。 | |
| 1597 | 宇都宮国綱が改易となる。 |
史跡公園利用のみなさんへ(右下)
史跡公園はみなさんで楽しく学び、ご利用いただく施設です。マナーを守り、他人の迷惑にならないよう次のことを心がけてください。
- 定められた区域以外に立ち入らないでください。
- ゴミや空かん等はお持ち帰りください。
- 許可無く物品の販売・展示などをしないでください。
- 施設及び樹木をいためないでください。
- ペットなどは放さないでください。
見学前にこの情報を読んおけばより理解が深まりますね。南側の建物は城跡ではなく古代の建物の再現なんですね🤔それでは入りましょう。

それでは見学を始めましょう。

最初から土塁と空堀の規模が半端ないですね😳これは見応えがあります。

櫓(やぐら)台(だい)・6号堀
日本語解説
櫓台は、6号堀に5ヶ所設けられています。この櫓台は、城の北東側からの攻撃に備えたものです。この場所は、後世に崩されたものを復元しましたが、土塁登りを体験していただくために、傾斜の角度をゆるくしています。
また、6号堀は、図の赤点線に示したように実際には北崖の方に突き抜けていました。
英語解説(English)
Yaguradai (Turret) · Moat No.6
Moat No.6 has five turret stands to protect against attack from northeast. The structures which had been destroyed were reconstructed with gentler slopes for visitors to experience fort-climbing.
In reality, as the drawing shows, Moat No.6 ran through the north cliff.
奥で小高くなっているところには櫓があったようです。この距離とこの高さの土塁、空堀だと確実に狙い撃ちですね😱

反対側の飛び出しているところにも何かありそうですね🤔

櫓(やぐら)台(だい)
日本語解説
櫓台は、6号堀に5ヶ所設けられています。ここから、大手にかかる木橋をわたって侵入しようとする敵に「横矢掛け(よこやがけ)」などの攻撃を仕掛けます。
調査の結果、城が取り壊される際に、この櫓台も崩されたことがわかりました。
英語解説(English)
Turret stand
There are five turret stands around Moat No.6. Attacks, such as yokoyagake or a arrow-shooting from the sides, were made one enemies attempting to invade across the wooden bridge to the front gate.
An investgation revealed that this turret stand was broken down the castle was demolished.
本当に入口は櫓に狙われるんですね😱

こちら側の櫓に行く道の両サイドの遺構が立派すぎです🥹
それでは橋に戻りましょう。

枡(ます)形(がた)
日本語解説
この遺構は、木橋をわたって来た敵に対し攻撃をするために造られた防御施設です。
調査では、溝跡が確認され、その深さをもとに土塁の高さを決めました。この土塁の上にはさらに柵が設けられていたものと考えられます。
英語解説(English)
Masugata (square area)
This remnant structure was a defense installation to attack an enemy came across the wooden bridge.
An investigation confirmed a ditch the depth of which determined the height of the dirt fort. Presumaly there was a fence on the dirt fort.

ちょっと離れてみると枡形になっていますね。橋は右手側なので正面から狙い撃ちといったところでしょうか🤔

枡形を抜けると門があります。

門
日本語解説
調査により、ここに門があったことが判明しました。この門は、塀重(へいじゅう)門(もん)と呼ばれるタイプのもので、柱の土台には川原石を使用していました。また、土塁の上から、この門を支えるための柱穴が見つかっています。
英語解説(English)
Dirt bridge and gate
You see the wooden bridge to get across Moat No.5. There is a gate past this bridge; the gate prevents enemies and suspicious people from invasion. An investigation found one river stone supposedly used for a gate foundation and on the dirt two pillar holes to support it.
かなりがっしりした門ですね😳これはちょっとやそっとでは壊されそうにないですね🤔

門を内側から引きで撮影しましたが、門を突破してもこの高低差だと横に広がることもできないですね😳

飛山城址の北側にきました。ここからの景観はなかなかいい眺めですね☺️

写真内の表記(上部)
- 三倉山(みくらやま)
- 那須連峰(なすれんぽう)
- 赤面山(あかづらやま)
- 勝山(かつやま)城跡(じょうし)
日本語解説
この場所と鬼怒(きぬ)川(がわ)の比高は、約25m(ビル8階建てに相当)です。
この崖の下に、以前は深い淵(ふち)があり、そこに白いナマズが住んでいたという伝説が残っています。
また、この城から北へ約12kmのところに勝山城(さくら市)があります。14世紀以降、芳賀(はが)氏が入り、那須(なす)氏の侵攻に対応した城です。
英語解説(English)
This area is 25 meters (as high as an eight-story building) higher than the Kinu River. There used to be a deep pool of water down this cliff. A legend says that some white catfish once lived there.
About 12 km north of the castle is the Katsuyama Castle (Sakura City). In and after the fourteenth century Haga entered the castle to guard against Nasu's invasion.
動画で全景を出してみましたが、なかなかのどかですね☺️雲がなければもっと遠くの山が見れましたね。

ここは2号堀ですね。左側は梅林なので手入れが行き届いているせいか見やすくていいです。

このくらいの堀や土塁だと滑り台みたいにして遊びたくなりますが、確実に怪我をするので遊ばないようにしましょう。もともと相手の怪我以上のダメージを与えるのが目的で作られていますからね😥

三角点見つけました。石で囲っているのが城跡らしくていいですね😂

城内はほぼ森ですが、整備されているので歩きやすいですね☺️ただ面積が広いので結構な距離は歩きますが😥

こちら側に3号堀があるようですが見えませんね😅

3号堀
堀の規模
- 上幅:約3〜4m
- 下幅:約0.5m
- 深さ:約2〜3m
- 形状:薬研堀(やげんぼり)※1
日本語解説
この堀は、曲輪(くるわ)Ⅱを逆L字形に囲み防御しています。南東隅に突出部(とっしゅつぶ)があり、北東隅には曲輪Ⅲとを結ぶ土橋があります。
写真の左下の平らな部分は、この堀が掘られる前の竪穴(たてあな)建物の床面です。このことから、数度にわたり、城が造り替えられていることが発掘調査により判明しました。
現状は、堀を復元せず廃城時の姿となっています。
- ※1 断面がV字形になった底の狭い堀。
英語解説(English)
Moat 3
This dry moat defends Area Ⅱ, enclosing it in a reversed "L" shape. It has a projected part in the southeast of Area Ⅱ the passage at the north end of the moat leads to Area Ⅱ. It is called "earth bridge".
The flat part in the photo is the floor of an older dugout building which had existed before the moat was dug. This proves the castle had been rebuilt several times on this ground.

国指定史跡 飛山城跡
昭和五十二年三月八日指定
飛山城は、鎌倉時代末期の永仁年間(十三世紀末)に芳賀高俊が主家の宇都宮城に近い当地に築城したと伝えられている。
芳賀氏は、天武天皇の子孫である清原氏の一族で、代々、芳賀郡一帯を治めていた豪族であったが、この飛山を居城としてからは姓を先祖の「清原」に改めたといわれている。(宇都宮市編入以前の旧清原村という村名は、この清原氏にちなんだものである。)
この飛山城は、高俊以後、慶長二年(一五九七)豊臣秀吉の命により廃城となるまでの三百年にわたり清原氏の居城であったといわれるが、その変遷については定かではない。
飛山城は、近世の天守閣・石垣等に代表される城と異なり、自然の地形を利用し、深い空堀と土塁を二重にめぐらし、外敵の侵入に備えた中世の平山城の様式を伝えている。
なお、城の周囲にめぐらされた内堀には、通路と思われる「土橋」があり、外堀に面した土塁には、数か所突出部がみられ「物見櫓」と考えられている。
この飛山城は、廃城以後約四百年を経た今日まで往時の遺構をとどめているものとして全国的にも非常に高く評価されている。
宇都宮市教育委員会
(昭和六十年三月・建)
この看板がある場所は写真のベストショットらしいので、撮影してみましょう📸

かなり広いので動画でも撮影してみましょう🎥
本当に広いですね😳ここまで歩いた甲斐がありました😅

掘建小屋がありますね。案内板を読んでみましょう。

掘(ほっ)立(たて)柱(ばしら)建(たて)物(もの)
日本語解説
この建物は、地面に穴を掘り、そこに柱を立てたものです。壁は土壁(つちかべ)で、屋根が板を何枚も重ね合わせて葺(ふ)き、その上に押さえとして石を置いた「石(いし)置(おき)板(いた)葺(ぶき)」と呼ばれるものです。
調査により、床を支える柱が見つかったことから、床の高い建物と想定され、武器や武具を収納する倉庫として使われたと考えられます。
英語解説(English)
Hottatebashira (dig and raise pillars) structure
This structure was built with pillars raised in the holes dug in the ground. The walls are of mud and the roofs are shingled with stones as weiths, which is called ishioki-itabuki.
An investigation discovered some pillars to firmly support the floor, which leads us to believe that the structure presumably had a high floor and was used as a storage to keep arms and armor.
中も見学できるようなのでみてみましょう🏠

当時の道具類も展示されていますね🤔

ここにも2号堀がありますね🤔

2号堀
堀の規模
- 上幅:約5〜6m
- 下幅:約0.5m
- 深さ:約3〜4m
- 形状:薬研堀(やげんぼり)※2
日本語解説
この堀は、曲輪(くるわ)Ⅲを逆L字形に囲み防御しています。この場所は、南側の中央の突出部にあたり、東側約10mのところにある木橋を渡る敵に対し、「横矢掛け(よこやがけ)」※1 ができるよう工夫されています。堀は、人の手によって埋め戻されており、城が廃止された時の様子をうかがい知ることができます。
現状は発掘調査の成果をもとに、当時の土塁(どるい)の高さを復元したものです。
- ※1 横から矢を射掛けること。
- ※2 断面がV字形になった底の狭い堀。
英語解説(English)
Moat 2
This dry moat built in a reversed "L" shape defends Area Ⅲ.
This place is just in front of the central projection of the south side of Area Ⅲ.
From the bank arrows were shot at enemies coming across the wood bridge, 10 meters away eastward.
The moat was later filled in again, so it remains as it was when the castle was abandoned.
The bank was restored to its original height, based on the results of the excavation research.

城内にはいくつか掘立小屋がるようですね☺️

こちらの内部はまた違った作りですね。

こちらの掘建小屋も造りが違いますね。見ていきましょう。

ここの内部はかなり立派な造りですね😳

出入口も他と造りが違いますね😳

こちらもまた違った作りの掘立小屋ですね。

内部は他と同じですね。扉を閉めると真っ暗になるんですね。

扉の内部のロックが特徴的でした。

こちらの掘建小屋はまた違った作りですね。

軒下の造りがかなりしっかりしていますね😳あと雨水が落ちるところは水が流れやすくなっていますね。

こちらの内部は簡素ですね。

こちらも外観がちょっと違う掘立小屋ですね。

ここは玄関がある分余裕がありますね。

こちらの内部は他と同じですね。

掘(ほっ)立(たて)柱(ばしら)建(たて)物(もの)
日本語解説
この4棟の建物は、地面に穴を掘り、そこに柱を立てたものです。壁は土壁(つちかべ)で、屋根が板を何枚も重ね合わせて葺(ふ)き、その上に押さえとして石を置いた「石(いし)置(おき)板(いた)葺(ぶき)」と呼ばれるものです。
主郭(しゅかく)に入る木橋の前面に位置することから、城主を守る将兵の詰所(つめしょ)と考えられます。
英語解説(English)
Hottatebashira (dig and raise pillars) structure
These four structures were built with pillars raised in the holes dug in the ground. The walls are of mud the roofs are shingled with stons on top as weigths, which is called ishioki-itabuki.
These are regarded as guardhouses since they are located in front of the wooden bridge leading to the front gate.
これまで見てきた建物の作りについて説明がありますね。今時しかも屋外でここまで再現している建物も珍しいです。

この堀に木橋がかかっていたそうです。

木橋
木橋の規模
- 長さ:5.5m
- 幅:2.35m
日本語解説
この木橋は2号堀を渡る施設です。橋の手前は、鉤(かぎ)の手状になっており、真っ直ぐ入れないよう工夫されています。この橋を渡って城の中心部分に入ります。
発掘調査では、写真のような橋脚(きょうきゃく)の柱穴が堀底から4本確認されました。柱の痕跡から直径が25cm前後の丸い柱であったと想定されます。
英語解説(English)
Wood Bridge
This bridge over Moat 2 connects Area Ⅲ to Area Ⅳ.
The path in front of the bridge leading to Area Ⅲ was laid out in the fron of a crank so as to prevent the intruders from rushing in.
The photo shows the remains of four piers found during the excavation. Each pier was assumed to be a log pillar of 25 centimeters in diameter.

こちらが4号堀になります。これはすごくいい状態で保存されていますね😳これだけ立派な空堀は初めて見ました。

4号堀
堀の規模
- 上幅:約7〜12m
- 下幅:約2m
- 深さ:約4〜5m
- 形状:箱堀(はこぼり)※2
日本語解説
この堀は、城を北と南に分け、北側部分の曲輪(くるわ)Ⅰ〜Ⅴを防御する規模の大きなものです。ほぼ中央で鉤(かぎ)の手状に折れ曲がり、そこには土橋が設けられています。
右の写真は、土橋部分を北側から撮った写真ですが、手前の堀底に小さな畝(うね)状の掘り残しが見られます。これは、小田原を本拠とした後北条(ごほうじょう)氏の城に良く見られる「堀障子(ほりしょうじ)」※1 に似た施設と考えられます。
- ※1 堀底を自由に行き来できないようにした仕切りのこと。
- ※2 断面が逆台形の堀。
英語解説(English)
Moat 4
This dry moat, wider and longer than Moats 1-3, defends Areas Ⅰ-Ⅴ. It divides the castle ground into two-the northern part and the southern part.
The moat winds twice right-angled in the center. The passage, called "earth bridge", connects Area Ⅴ to Area Ⅳ.
The upper photo was taken from the north side of the moat. It shows a ridge-like block on the bottom of the moat. The block was probably designed to hinder enemy's attack. It is similar to the device called "hori shoji" in the castles of Gohojo family in The 16th century.

こちらは中世竪穴建物です。地面に屋根が落っこちている感じなのでびっくりです😳

入口はこちらになります。入口というか蓋をしている感じですね🤔

中(ちゅう)世(せい)竪(たて)穴(あな)建(たて)物(もの)
日本語解説
この2棟の建物は、地面を約1.5m掘り下げて床にし、屋根を直接地面に葺(ふ)きおろしています。屋根は、掘立柱建物と同じ「石(いし)置(おき)板(いた)葺(ぶき)」です。
調査により、この屋根に使用されたと思われる川原石や常滑(とこなめ)の大甕(おおがめ)片・青磁(せいじ)片などが出土しています。この建物の性格は、貯蔵用とする説や兵士の詰所(つめしょ)とする説があります。
英語解説(English)
Medieval tateana structure
These two structures have their floors dug in the ground about 1.5meters deep, and the roof is thatched down to the ground. The roof is ishioki-itabushi, like the hottatebashira structure.
An investigation found river stones and pices from large, earthen pots and pale-green porcelain. This structure may have been a storage or a post for soldiers.
まだこれといった回答が出ていないようです。ただ流石に人はっこに長時間いるのは厳しい気もしますが🤔

こちらが古代竪穴住居です。なんか凄い立派ですね😳それでは入口に回りましょう。

正面に回りました。これはなかなかの趣がありますね😳

古(こ)代(だい)竪(たて)穴(あな)建(たて)物(もの)
日本語解説
この建物は、地面に大きく竪穴を掘り、壁ぎわの柱(ひべぎわのはしら)により屋根を支える「壁立式(かべだちしき)竪穴建物」と呼ばれるタイプのものです。壁は土壁(つちかべ)で、屋根は茅葺(かやぶき)です。屋内にはカマドや棚が設置されています。
調査により、この遺構から「烽家(とぶひ)」と書かれた墨書(ぼくしょ)土器(どき)が出土し、烽子(ほうし)(のろしの番人)の詰所(つめしょ)と考えられます。
英語解説(English)
Ancient tateana structure
This structure is the type called Kabetachishiki tateana jukyo or a house with a large hole in the ground for a dirt floor and the roof supported by pillars along the walls and in the hole. The wall are made of dirt and the roof is thatched.
Inside the house are a cooking stove and shelves.
An earthen vessel marked tobihya with ink was found through an investigation into the remains, which indicates that it was a post for hoshi (signal fire watchman).
それでは内部を確認しましょう。

内部の作りもしっかりしていますね。釜戸まであります😳まきは床下に収納しているようですね。
これで一通り見学しましたので、橋のところまで戻りましょう。

駐車場には「とびやま歴史体験館」があります。ここで飛山城の歴史を知ることができます。あとトイレも行ってきます。

中はかなりシンプルですが、エアコンが効いているのが嬉しいです😂

飛山城址の全景模型がありますね。立体的なのでわかりやすいですね。

左三つ巴の家紋なので、城主の芳賀家の家紋ですね。立派な甲冑です。

この比較表は面白いですね😳それぞれのお城の特徴がよく出ています。
中世 宇都宮の三つの城
宇都宮市内には、現在40近い中世の城館跡が確認されています。
その中でも宇都宮城跡・飛山城跡・多気城跡は、その規模及び歴史的背景において、宇都宮を代表するお城です。
飛山(とびやま)城跡
宇都宮市竹下町
飛山城は、鬼怒川(きぬがわ)左岸の段丘を利用して築かれた城です。
この城は、芳賀(はが)高俊により、永仁年間(1293〜98年)に築かれたと伝えられています。その後、南北朝時代や戦国時代に、いく度かの戦いがあり、豊臣(とよとみ)秀吉の時代に、廃城になったと考えられます。
(右側イラスト注記:飛山城想定図)
多気(たげ)城跡
宇都宮市田下町他
多気城は、市の北西部に位置し、約150haにおよぶ山全体を利用して築かれた城です。
その築城に関しては、1063(康平6)年に宇都宮宗円(そうえん)が築城したとする説や、1576(天正4)年に宇都宮国綱(くにつな)が築城したとする説などがあります。
戦国時代も終わりのころ、北条氏の侵攻に対し、国綱は本拠を宇都宮城から多気城に移したといわれています。そして、1597(慶長2)年、宇都宮氏の改易によって廃城となりました。
(下部イラスト注記:多気城想定図)
宇都宮(うつのみや)城跡
宇都宮市本丸町他
宇都宮城は、田川(たがわ)の右岸の平らな場所に築かれた城です。
宇都宮氏はこの城を居城(きょじょう)として、城の北側に位置する二荒山(ふたあらやま)神社の祭祀(さいし)をつかさどりながら、周辺を支配しました。
初代の宗円(そうえん)が平安時代後期に築いたといわれ、いくたびかの戦乱をとおして、城は大きくなり、構造も複雑になっていったと思われます。
1597(慶長2)年、宇都宮氏が滅びると、江戸時代には譜代(ふだい)大名の居城となりました。本多正純(まさずみ)の時代に大改修が行われ、近世城郭の形態が整いました。また、将軍が日光参詣(さんけい)をするときに宿泊する城で、皆さんご存知の「釣天井(つりてんじょう)伝説」の舞台でもあります。
(右下イラスト注記:宇都宮城想定図)
左側地図の注記
- 宇都宮市内所在 中世城館跡位置図
- 城館の規模
- ■ 100ha以上
- ■ 10ha〜100ha
- ■ 10ha以下
- ■ 不明
- (地図内プロット例:多気城跡、宇都宮城跡、飛山城跡 など)

飛山城の城攻めのイメージです。これはなかなか攻め落とすのは難しそうですね😳
飛山城址は一通り見ると半日はかかりますし、結構歩きます。また虫も出てきますので、水分も含めて色々と準備をしていくことをお勧めします。しかし遺構の保存状態はとても良いので、しっかり準備をして見に行かれるといいと思います。

<執筆者プロフィール>
予備自補軍曹
経営学修士(MBA)
予備自衛官(技能)
民間人から予備自衛官補(技能)から予備自衛官になりました。休日はお城や神社仏閣、戦争遺跡を見歩いているので、面白そうなものを紹介していきます。
姉妹ブログとして優待太郎の名前で「MBAホルダーが保有している株主優待銘柄」も運営しています。
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